2011年12月18日

全長6000キロ!アマゾン川の地下4キロに、もう一つの大河発見!

世界には、安全な飲み水を得ることができない11億人の人々がいる。 地下水の過剰な汲み上げによる農耕地の不毛化、水資源の過剰利用と汚染による生物多様性の低下、水資源の不足による地域紛争などが起きている。また、世界の疾病の80%の原因が、不衛生な水環境にあるといわれている。日本は地震の多い国だが、きれいな水資源に恵まれているだけでもありがたい。 

 水は貴重だ。地球上にある水の97%は海水で、淡水はわずか3%。その淡水の中でも70%は氷河で 、残りのほとんど、30%近くが地下水になっている。私たち陸上生物が利用できる水は、地球上 に存在する水のわずか0.01%にしか過ぎない。川の水となると、さらに少なく、0.0001%しかない。

 その中で世界一水量の多い川が、アマゾン川である。今回、アマゾン川の地下にもう一つ、別の“大河”があることが、ブラジル国立天文台の研究グループによって発見された。グループが、アマゾン地域の地熱を調べた結果、地下約 4キロにアマゾン川より幅の広い全長約6000キロの地下水脈が流れていることが分かった。 

続きはこちら → http://blog.livedoor.jp/liberty7japan/archives/3512809.html

参考HP Wikipedia マヌー国立公園 ジャウー国立公園 アマゾン川


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2011年09月25日

世界遺産「紀伊半島の霊場と参詣道」の隣接地に、毒草が異常繁殖

 世界遺産に毒草異常繁殖
 奈良県天川村洞川の観音峰(1347メートル)の山頂付近で、ヨーロッパ(西アジア)原産の毒草・ジギタリスが異常繁殖している。南側斜面などの約1万平方メートルを覆うように群生しており、同村は「他の希少植物を圧迫し、大峰山系独自の生態系を脅かす」として、除草などを検討している。

 ジギタリスはゴマノハグサ科の多年草で、背丈は約1メートルに成長。初夏に淡い紫色の小さな花を咲かせ、日本では「キツネノテブクロ」とも呼ばれ、観賞用として親しまれている。葉は強心薬としても用いられるが、毒性が強い。

 観音峰周辺では約10年前からジギタリスが自生しているのが確認されていたが、数が少なかったため、山野草として放置されていた。昨夏頃から急激に繁殖し始めたという。


Digitalis

 専門家らによると、ジギタリスは有毒植物のため、野生動物の餌にならず増える一方で、「繁殖のスピードがはやく、数年後には他の山々にも広がるのでは」と警戒している。

 同山は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に隣接し、山中には「クルマユリ」や「キレンゲショウマ」などの希少な山野草が自生。1995年には本州で初めて「ワタナベソウ」の自生が確認されている。(2011年8月17日  読売新聞)


 ジキタリスとは?
 ジキタリスは別名をキツネノテブクロ(英名のfoxgloveの直訳である)という。ヨーロッパ原産であるが、観賞用あるいは薬用に世界中で広く栽培される。高さ1メートル前後で分枝しない。

 全体にジギトキシン、ジゴキシン、ラナトシドCなどの強心配糖体を含み、これらはジギタリスの葉を温風乾燥したものを原料としていたが、今日では化学的に合成される。古代から切り傷や打ち身に対して薬として使われていた。1776年、英国のウィリアム・ウィザリング (William Withering) が強心剤としての薬効を発表して以来、うっ血性心不全の特効薬として不動の座を得るに至っている。ただしジキタリスには猛毒があり、素人が処方すべきではない。

 日本薬局方ではジギタリスの一種 Digitalis purpurea が医薬品として収録されている。これはハトを使って効力を定量した「ジギタリス単位」という単位(詳細な定量方法は、日本薬局方を参照)で効力を表示する。

 不吉な植物としてのイメージがあり、暗く寂れた場所に繁茂し、いけにえの儀式が行われる夏に花を咲かせることからドルイド達に好まれると言われる。「魔女の指抜き」「血の付いた男の指」などと呼ばれていた地域もある。メーテルリンクは、「憂鬱なロケットのように空に突き出ている」と形容している。(Wikipedia)


 ジギトキシン
 ジギトキシン(英: digitoxin)は、強心配糖体のひとつ。CAS登録番号は [71-63-6]。細胞膜に存在するNa+,K+ATPaseを阻害することにより心筋細胞内のカルシウムイオン濃度を増加させ、心筋の収縮力を増大させる(陽性変力作用)。心不全、心房性不整脈患者に適用される。

 心臓のポンプ機能が低下すると、血液や水分の循環が悪くなる。その結果、体に余分な水分がたまりやすくなり、浮腫(むくみ)を生じたり、息苦しさや疲れを感じるようになる。肺に水分がたまると、咳がでたり、ゼーゼーとぜん息のような呼吸になることもある。このような状態が「心不全」だ。

 ジキトシンは、ジギタリス系の強心薬。心臓の収縮力を強くし、脈をゆっくりさせる作用がある。血液がよく回るようになるので、息が楽になり、浮腫も改善される。実際に、ジギタリス薬を使用すると、心不全悪化による入院の割合が減るという臨床研究が報告されている。

 心筋の収縮に必要なカルシウムを細胞内に取り込むことで、心臓の収縮力を強くする。その結果として、全身の血液循環がよくなり、心不全の症状も改善される。強心作用とともに、交感神経の緊張をやわらげることで、脈を強くゆっくりさせる。心房細動などある種の頻脈性不整脈に優れた効果を発揮する。 

 西欧で古くから用いられきたジギタリスという薬用植物に由来している。肝臓で大部分が代謝される。他の薬と相互作用を起こしやすい性質がある。別の薬を飲んでいる場合は、医師に相談すること。また、注意事項や副作用について十分医師の説明を受けてくおくこと。服用に適さないケースとして、房室ブロック、洞房ブロック、閉塞性心筋疾患などがある。


 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
 さて、思いがけない毒草が発見された、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」とはどんな場所だろう?

 和歌山県、奈良県、三重県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」は、自然崇拝に根ざした日本古来の神道と百済より伝来した仏教が結びついた神仏習合思想をよくあらわしていること、神社や寺院などの建造物が自然環境と一体となって文化的景観を構成していることなどが評価され、2004年、世界文化遺産に登録された。

 登録資産は、次の資産群がある。吉野・大峰 吉野山、金峯山寺、大峰山寺、吉野水分神社、吉水神社、金峯神社 熊野三山 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、西岸渡寺、那智大滝、那智原始林、補陀洛山寺 高野山 丹生都比売神社、金剛峯寺、慈尊院、丹生官省符神社 参詣道 大峰奥駈道(玉置神社を含む)熊野参詣道(熊野川、七里御浜、花の窟を含む)高野山町石道 登録地域は、登録資産(核心地域)約4.95平方キロメートルと、その周辺の緩衝地帯を加えた約118.7平方キロメートル。

 登録されている参詣道の総距離は307.6キロメートル。 「道」が世界遺産として登録されたのは、スペイン〜フランスにまたがる巡礼道「サンディアゴ・デ・コンポステラへの道」についで2件目である。 紀伊山地の3つの霊場は、それぞれ異なる信仰の霊場であったが、それぞれが参詣道で結ばれ、日本古来からの神道と仏教が融合した神仏習合の文化が育まれてきた。

  しかしながら、明治維新政府の神仏習合を禁止する神仏分離令(神仏判然令)をきっかけに、全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、寺院や仏具が破壊されてしまった。さらに、明治39年(1906年)に施行された「神社合祀令」によって全国で5万もの神社がつぶされ、熊野でも神社の森が伐採されるという危機に瀕しました。この危機に対し、和歌山県出身の博物学者・南方熊楠(みなみかたくまぐす)は、「神社をつぶすということは自然と人間社会を破壊するもの」と日本で初めてエコロジーの考えを提唱して「神社合祀令」に反対、「熊野の森を守れ!」と立ち上がり、那智滝の原生林や樹齢500年をこえる熊野古道の杉木立を守った。


参考HP 平和が一番 紀伊山地の霊場と参詣道 Wikipedia ジキタリス Chemi Book ジキトキシン


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2011年08月08日

世界遺産「マチュピチュ」とは?最後のアンデス文明、失われたインカの都市

 謎の古代遺跡
 マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、ペルーのウルバンバ谷に沿う高い山の尾根(標高約2,057m)に位置する、インカ帝国の遺跡である。「マチュ・ピチュ」はケチュア語で「老いた峰」を意味する。山裾からはその存在を確認できず、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと呼ばれる。

 この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。

 行政上クスコと同じ地域に属している。この遺跡の由来には諸説ある。宗教的な施設で、太陽を崇める神官たちが統治した説や、太陽の処女たちが生贄にされたといった説。スペイン人によって追い詰められた最後の砦でだという説。インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や、田舎の別荘という説…。誰が何のために造ったのか、未だに解明されていない遺跡である。


Machu_Picchu_2009

 いずれにしても、人類の創造的才能を表現する傑作であり、消滅した文明の稀な証拠であり、ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ地域を含む…などの理由から1983年に世界遺産に指定された。また、解明されない謎を多く含むことから、2007年7月、新・世界七不思議の一つに選ばれた。


 コンキスタドールによる侵略
 インカ帝国は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が作った国。前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドール(Conquistador) に滅ぼされるまで続いた。

 インカ帝国は、アンデス文明の系統における最後の先住民国家である。メキシコ・グアテマラのアステカ文明、マヤ文明と対比する南米の原アメリカの文明として、インカ文明と呼ばれることもある。

 最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていた。比較的自由に自治を認められた、一種の連邦国家のような体をなしていた。 首都はクスコ。

 アンデス最後の文明インカ帝国を滅ぼした、コンキスタドールとはスペイン語で「征服者」を意味する。とくに15世紀から17世紀にかけてのスペインのアメリカ大陸征服者、探検家を指す。ペルーのインカ帝国を侵略したコンキスタドールには、フランシスコ・ピサロがいる。

 1533年にインカ帝国が滅ぼされた後、スペイン人によって激しい搾取が行われるようになり、彼等の征服は先住民の文化・伝統・宗教を徹底的に粉砕し、先住民は白人入植者たちに奴隷の様に使役されるという状況に置かれた。

 従軍した宣教師の中にはバルトロメ・デ・ラス・カサスのように中南米での虐殺・虐待を告発した者も存在したが、小数であり、またカサスのような者は激しい批判を受けた。近代では、インディオの子孫達の社会的立場が向上するにつれ、これらの文化破壊行為は批判的に受け取られている。


 失われたインカ帝国
 マチュピチュを世界的に有名にしたのは、イェール大学の歴史家であるハイラム・ビンガムであろう。彼は、1911年7月24日、この地域の古いインカの道路を探検していた時、山の上に遺跡を発見した。ビンガムは1915年までに3回の発掘を行った。マチュ・ピチュについて一連の書籍や論文を発表し、最も有名な解説「失われたインカの都市」がベスト・セラーになった。

 この本は、ナショナル・ジオグラフィック誌 が1913年4月号のすべてをマチュ・ピチュ特集にしたことでさらに有名になった。また1930年の著書『マチュ・ピチュ:インカの要塞』は廃墟の写真と地図が記載され説得力のある決定的な論文となった。以後、太陽を崇める神官たちが統治したとか、あるいは太陽の処女たちが生贄にされたといった定説が形成された。

 インカ帝国は最後のアンデス文明とされる。アンデス文明はおそらくBP約9,500年(約紀元前7500年)ころまでに始まったと考えられている。インカの祖先は、現在「プーナ」と呼ばれているペルーの高原地方を根拠に遊牧民族として暮らしていたと思われている。この地勢条件により、彼らの身体は低身長化、体型の頑健化という特徴をもって発達した。

 平均身長は、男性が1.57m、女性が1.45mであった。高地に適応するため、彼らは他地域の人々に比べ肺活量が30パーセントほど大きくなり、心拍数も少なく、血液の量も他地域の人々より多い2リットルとなり、ヘモグロビン量も2倍以上となった。

 紀元前後から800年頃には、現在のペルー共和国海岸地帯のナスカ市周辺に、ナスカの地上絵で有名なナスカ文明が栄えた。アンデス文明のうち、灌漑設備が整備され開拓の進んだ前期中間期ないし地方発展期にあたり、同時代のモチェ、カハマルカ、ティアワナコと並ぶ。宗教的中心(巡礼地であるとされる)は、ナスカ川流域のカワチ遺跡とされている。

 ナスカの地上絵は紀元前2世紀から6世紀の間に、「描かれた」と考えられている。1994年12月17日、UNESCOの世界遺産(文化遺産)に登録された。登録名称は『ナスカとフマナ平原の地上絵』である。


 マチュピチュに5つの説
 最近のナショナルグラフィックでは、「マチュピチュ建設の理由、5つの説」という記事が掲載された。
1. インカ最後の都市説: ハイラム・ビンガムは2種類の考えを提示している。1つは“インカ発祥の地”説で、1911年、地元農夫の案内で遺跡を訪れたときに発想したという。後に自説を修正し、伝説の“インカ帝国最後の都市”ビルカバンバでもあると提案した。16世紀、インカ最後の皇帝がスペイン軍と長期にわたる戦闘を繰り広げた場所だ。

2. 神聖な女子修道院説: 「太陽の処女」の寺院と考えたのもビンガムだ。インカの太陽神インティに仕える“選ばれし聖なる女性”というエキゾチックな仮説だ。主な根拠は、現地でビンガム・チームが発見した埋葬状態の多数の遺骨だ。アメリカの骨学者ジョージ・イートンは20世紀初頭、ほぼすべてが女性だったと発表した。

3. 御用邸説: 15世紀の皇帝パチャクテクの“御用邸”だったという有力な説があり、マチュピチュはパチャクテクやその親族集団パナカが保養、狩り、迎賓に利用する場所だったらしい。1980年代に発表された“御用邸”説は、16世紀のスペインの古文書に登場する「ピチュ」という名の王領地を根拠としている。ピチュはマチュピチュと同じ地域にあったという。

4. インカの創造神話を再現説: マチュピチュの建設はもっと宗教性が強かったと推測する学者もいる。イタリア、ミラノ工科大学の天体物理学者ジュリオ・マグリ氏は2009年に調査を実施、マチュピチュはインカの神話を再現した場所だったと発表した。

5. 特別な聖地説: 考古学と人類学を専門とするヨハン・ラインハルト氏は1991年、『Machu Picchu: Exploring an Ancient Sacred Center(マチュピチュ:古代聖地の研究)』を著し、インカの聖地の中でも特別な場所だと発表した。例えば、夏至と冬至、春分と秋分の日にマチュピチュの特定の地点から観測すると、日の出と日の入りが宗教的に重要な山々とぴったり一直線に並ぶという。当時、太陽はインカの祖先と考えられていた。

6. 以上のすべて?: ほとんどの学説は政治面か宗教面を強調しているが、ラインハルト氏など一部の研究者は排他的である必要はないと主張する。ペルーの考古学者ギエルモ・コック氏によると、現代の多くの文化と違い、インカ社会に政教分離の発想はなかったという。二重の目的を持っていても不思議ではない。(National Geographic News)


参考HP Wikipedia マチュピチュ National Geographic マチュピチュ建設の理由、5つの説

ナショナル ジオグラフィック [DVDブック]
インカ帝国 マチュピチュと「氷の少女」のミイラの発見
(ナショナルジオグラフィック DVD BOOK)

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日経ナショナルジオグラフィック社
DVDマガジン NHK世界遺産100 全50巻(1) 空中都市「マチュピチュ」~アンデス奇跡の文明~
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小学館
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